ヴィラモヴィアン語とは?(前編)

前回、Wilamowiceで話されているWymysiöeryś(以下ヴィラモヴィアン語)について少し触れましたので、今回はその言語についてお話ししたいと思います。ドイツ語、ドイツ方言学などの知識がないと少々難しい内容になっていますが、ご了承下さい。

 

ドイツ語?ポーランド語?

ヴィラモヴィアン語はどの言語に近いのでしょうか。この疑問に答えるために、少しばかり2つの言語と比較をしたいと思います。その際、歴史的・地理的な側面から考慮し、ポーランド語・ドイツ語と比較します。ポーランド語を選んだ理由はヴィラモヴィアン語がポーランドで話されているという地理的背景のため、ドイツ語を選んだ理由はドイツ語話者がWilamowiceに入植したという歴史的背景のためです。

 

さて、下記に『星の王子さま』のヴィラモヴィアン語(wym.)、ドイツ語(dt.)、ポーランド語(po.)訳を提示しますので確認してみましょう。

日本語訳は下記の通りです。

 

「私が6歳だったとき、『本当にあったお話』という原生林について書かれた本の中で素敵な写真を見ました。」

 

wym.

Wi’h hot zȧhs jür, zoh yh ȧmöł ȧ wunderśejn obrozła
y ȧm bihła fum Ürpuś, wo his „Ejwerławty kistiöeryja”.

 

dt.

Als ich sechs Jahre alt war, habe ich in einem Buch über den Urwald, das den Titel "Erlebte Geschichten" trug, das erste Mal ein wunderschönes Bild gesehen.

 

po.

Kiedy miałem sześć lat, zobaczyłem pewnego razu wspaniały obrazek w książce o dżungli
zatytułowanej Historie prawdziwe.

※類似している語彙に色を塗っており、青はドイツ語、赤はポーランド語を意味しています。

 

まず青色の語彙が多く見えます。例えば ヴィラモヴィアン語の "zȧhs" 「6」はドイツ語 "sechs"  に対応します。語形ではあまり似ていないと思うかもしれませんが、発音だとカタカナで表記すれば 「ザックス」と「ゼックス」 、さらにヴィラモヴィアン語 "yh" 「私」 とドイツ語 "ich" も同様に発音はとても似ています。たくさんの語彙が青色で塗られていることからわかるように、ドイツ語の特徴はヴィラモヴィアン語において多く見られます。

その一方で「私が6歳の時」という表現に関して、ドイツ語では be 動詞に当たる sein 動詞が使用されている一方、ポーランド語では "miałem" これは英語のhaveに当たる mieć の過去形が使用されています。そして、ヴィラモヴィアン語では "hot" これは英語のhaveに当たる "hon" の過去形(dt. haben-hatte)が使用されています。つまり、この表現は語彙がドイツ語系、フレーズがポーランド語系という一例になります。

 

方言学における分類

ここではドイツ語の特徴が多く見られるヴィラモヴィアン語がドイツ語とどのような関係があるかを説明したいと思います。

結論から言うと、ヴィラモヴィアン語は東中部ドイツ語 (Ostmitteldeutsch,  east-middle german) というグループに分類されています。*1

 

なぜ東中部ドイツ語に分類されるかというと、以下の特徴が見られるからです。

子音が以下のように対応します(cf. Putschke (1968)) *2  。

 

「私」:dt. "ich" / wym. "yh" 

「りんご」:dt. "Apfel" / wym. "oppuł" 

「ポンド」:dt. "Pfund / wym. "funt"

 

「私」ではwym.とdt.も似ていないように見えますが、wym. yh の <h> はdt. ichの <ch> と同じ発音をします。

「りんご」では「私」同様に見た目は似ていないですが、dt. <-pf->という音とwym.の<-pp->は対応しています。

「ポンド」はdt. <pf>という音とwym. <f>という音が対応しています。

以上をまとめると、

dt. -ch-, -pf-, pf- : wym. -ch-, -pp-, f- と対応しています。

これらの特徴が東中部ドイツ語に一致するため、ヴィラモヴィアン語は東中部ドイツ語に分類されます。

 

以下の図はドイツ語方言の区画を表したもので、赤い丸が東中部ドイツ語に分類される方言になります。主に真ん中の大きな赤い丸が東中部ドイツ語の諸方言が集まっている地域であり、右上の小さな赤い丸にある Hochpreußisch(高地プロイセン方言)は東中部ドイツ語地域からの移民により形成されたため、同じ東中部ドイツ語に属しています。また、ヴィラモヴィアン語は青〇で囲まれた地域で話されていました。

König 1978*3

今回はヴィラモヴィアン語の言語自体に着目して述べましたが、次回はこの言語を使用する人々やこの言語を消滅の危機から守る活動についてお話したいと思います。

 

 

*1:ドイツ語方言区画に関しては、別の機会で述べたいと思いますが、端的に言えば第二次子音推移の影響を受けた度合いによって、ドイツ北部の低地ドイツ語、中部の中部ドイツ語、南部の高地ドイツ語に分類され、中部ドイツ語は西中部ドイツ語と東中部ドイツ語に分けられます。そして、ヴィラモヴィアン語はその後者である東中部ドイツ語に分類されます

*2:Putschke, W. (1968). Ostmitteldeutsch. In: Schmitt, L.E. (eds.) Germanische Dialektologie:  Festschrift für Walther Mitzka zum 80. Geburtstag. Wiesbaden : Franz Steiner. 105-154.

*3:cf.König, W. (1978). dtv-Atlas zur deutschen Sprache. München: Deutscher Taschenbuch Verlag.

Wilamowiceという田舎町

私がポーランド南部に位置するWilamowiceについての記事を書くきっかけとなったのは、この町の長い歴史と失いかけた伝統の保存と伝承、実際に行ってみて思ったことや感じたことを何か形に残したいと思ったためです。

そんなわけで、早速Wilamowicceについて簡潔に紹介していきたいと思います。

 

ポーランド南部のシレジア県にWilamowiceは位置しています。

赤い印の位置がWilamowice 

 

この街へのアクセスは下記の通りです。

Warszawa Zachodnia ― Bielsko-Biała Główna:EIP(鉄道)で約4時間

Bielsko-Biała ー Wilamowice Kościół:105番のバスで約40分

 

バス停の目の前にそびえ立つ教会。町のシンボルでもある

 

この町の歴史は13世紀頃に遡ります。当時、ドイツ地域出身者がWilamowiceに多く入植しました(東方植民)。このような背景からWilamowiceで話されているWymysiöeryś (ドイツ語:Wilmesaurisch、英語:Wymysorys/Vilamowian、ポーランド語:Wilamowski)という言葉はドイツ語の一変種(ドイツ語系の言葉)とされています。ただ、現在この言葉を話せる人はごく少数に限られます。その理由は、第二次世界大戦以降Wymysiöeryśの使用が公的に禁止され、次世代への伝承がなされなかったためです。

 

居酒屋について3言語で説明されている。上からポーランド語、Wymysiöeryś、英語

 

しかし、2000年代以降に様々な分野の研究者が協力し、このWymysiöeryśを消滅の危機から守る活動、例えば、Wymysiöeryśの会話の記録、文化に関する文献や資料の収集、学校でのWymysiöeryśの教育などが実施されました。この結果、資料を容易に入手出来るようになり、また、Wymysiöeryśを流暢に話す若者も出始めました。

 

さらに、このWilamowiceの文化の象徴とされるものとして、お祭りなどの際に披露される民族舞踊や美しい衣装などが挙げられます。これらは長い伝統を持っています。ちなみに、ここで歌われる曲にはWymysiöeryśが使われているものも多くあります。

Dożynki(収穫祭)での民族衣装と舞踊の披露

今回はざっくりとした紹介ですが、今後は『言語』、『歴史』、『文化』といった様々な面から少しずつこの町について書いていきたいと思います。